hicheel deeree bichsen zohion bichleg.
orchuulgiig ni udahgui shalgaltaa duusahaar tavinaaa
私が初めて日本に足を踏み入れたのは9、10年前である。11歳と12歳の時、私は卓球の試合のため2回日本に渡った。関西空港で初めて、飛行機から降り、島国である日本の空気をはだで感じたとき、大陸のモンゴルから来た私にとって、湿気が多く、魚のにおいがし、息をしにくい空気を感じていた。最初に出会ったのはモンゴルのチームをガイドする二人の若者である。この二人は、何も分からない私たちを本当に親切に助け、国へ帰るまでずっと一緒にいてくれた。日本人に対する私の考え方はこの二人からはじまったと言ってもよいだろう。
再び、日本を訪ねたのは1年3月間前、すなわち、去年の4月である。なつかしい関西空港に飛行機から降りた。この際、変わったのは日本の空気ではなく、日本人ではなく、たぶん私だったと思う。前より大きくなり、小学校時代と比べるともちろんもっと色々考えるようになっていた。
長い間日本に住むようになったので、日本人と日本の文化にできるだけ早く慣れる必要があった。日本の文化や歴史などを学校で先生たちに教えてもらっていたので、日本人、特に日本人の人間関係を自分で学ぼうと思った。
時々、私にとって、日本人とうまく伝え合うには難しかった。日本人は、何かを言うとき直接的に言うのではなくて、多くに場合は、間接的にに答えをいう。例えば、試験の時、先生に問題の答えを英語で書くことができるかと聞くと、”英語で書くのはあまりよくないですね“と答えた。留学生の私たちは、よくないけれども一応できるということだと思ったが、本当はできないと言う意味だった。その上、日本人のホウストファミルとも時々このような問題が起こっていた。
しかし、日本に一年間以上いる間、この間接的に自分の意見を述べるのとだんだん慣れていった。そして、最近、私は直接的に言わないのがいいかもしれないと思うようになった。なぜかというと、何か断るとすると相手に直接的に、いいえ、できないと強く言うのではなくて、もっと親切で、丁寧に自分がなぜできないのかを説明視しながら言えるからだ。このように言えば、相手も私のことをわかってくれる。もちろん、直接的に言ったほうがいい場合もあるので、ぞれを自分で判断すべきだと思われる。
さらに、日本人の間の人間関係から学んだほかのことはもし自分の悪行だということが分かっていれば、そのときすぐに謝ることである。最初は、日本人はいつも、何も起こっていないのに謝ると思っていたが、先輩の話では、自分の悪行の時謝らないのは、責任を持てなく、他人を尊敬しないということを表すそうだ。一方、モンゴルでは、何かがあってもあまり謝ることがなく、人々はいつも自分の得意な気持ちを持ち、私の方が正しいはずと思い、謝りたくないという場合が多い。ストレスが多い日本の社会では、すぐに互いに分かり合うことも大切なので、上に述べたような習慣が生まれたと思う。
最後に言うと、日本の社会に入って、色々新しいことを経験しながら、この中のいいことを学び、自分の人生に役に立つようにしようと思っている。大学に入学した後日本人といい友達になり、日本人を少しずつ分かるようになっている。しかし、民族ごとに、そして一人一人の人間に自分の特徴がある限り、まだまだ、日本人は私にとってどんな鍵で開けるのかを分からないドアみたいだ。